第28話「マガリャンイス(前編)」

『海辺の街のしみうさ』

いつもの小高い丘の上の公園でしみうさは…

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久々のしみうさの知識ネタだったり!「マガリャンイス」が、日本では「マゼラン」と呼ばれるのは、「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」が、日本では「イギリス」と呼ばれるのと同じようなものなのでしょうか!?

なお、「しみうさの今日の一冊」は、なんと第7話「ダンディしみうさ」以来でした!

館主の本だな

大航海時代における偉大な業績といえば、次の四つが挙げられるでしょう。

  1. バルトロメウ・ディアスによる喜望峰到達(ポルトガル, 1488年)
  2. クリストバル・コロンによる西回り航路開拓(スペイン, 1492年)
  3. ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓(ポルトガル, 1496年)
  4. マガリャンイス一行による世界周航(スペイン, 1522年)

15世紀にエンリケ航海王子によって主導された航海技術の進展は、1488年のバルトロメウ・ディアスによる喜望峰(アフリカ南端)到達と、1492年のクリストバル・コロンによる西回り航路開拓(アメリカ到達)という二つの冒険的航海を成功に導きます。

この二つの業績の偉大さは、全く未知の領域に果敢に飛び込んで新たな世界の姿を明らかにした点にあります。いわば、世界地図を描き改めさせた偉大な冒険的成果です。

とくにポルトガルにとって、アフリカの南端到達は重大な報告でした。なぜならポルトガルは陸路からも探検隊を派遣しており、インドの正確な経度緯度をこの時点で既に知っていたからです。

事実、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓する以前に制作された、Henricus Martellusの世界地図(1489年制作)は、かなり正確にアフリカ大陸とユーラシア大陸の地形を描写しています

martellus_world_map

このように、アフリカ南端が発見され、そこから北上さえすればインドに到達できることが明らかになりました。かかる意味で、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓は、新たな世界を発見するという「冒険的航海」というよりも、インドと国交を結ぶためという「外交的航海」という側面を色濃く持ちます。

これら三つの偉大な航海はすべて15世紀末までに達成されました。最後の一つ、マガリャンイス一行による世界周遊が達成されたのは、それから20年近く後の1522年のことです。

この航海が企画された理由は、スペインがアジアと直接交易する手段を模索していたからです。なぜなら当時は、条約によってアフリカ周りでのアジア交易はポルトガルだけに許された特権とされていました。

したがって、西回りにアメリカ大陸を越えてアジア・インド圏との貿易航路を模索することがマガリャンイスに課せられた使命でした。

現代人からすれば「ヨーロッパからアメリカ超えてのアジア往復は、あまりにも距離がありすぎる!」と思うかもしれませんが、当時の人々は地球はもっと小さいと考えていたので、往復して交易できると信じていたのです。

しかし彼らの予想を裏切って、地球は遥かに大きく、太平洋は限りなく広く、その航海は困難を極めました。マガリャンイスはその航海の途中で命を落とし、後を継いだエルカーノによって船団がスペインにたどり着いたのは1522年のこと、実に出発から3年もの月日を費やし、約270人いた船員で生き残った者は僅か18人でした。

この苦難に満ちた航海は、アメリカ大陸の南端発見(正確にはマゼラン海峡)など、冒険的成果としても偉大な業績です。この航海の記録が近年ようやく文庫本で再刊されました。ぜひ冒険のロマンを手に取って感じてほしいと思います。

 

大航海時代の概説については増田義郎先生による次の概説書がお薦めです。増田先生は日本における斯学の泰斗です。

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